過食症を克服した一児の母の体験記

摂食障害(過食症)になり、悩み苦しみもがいた体験を綴っていきます。

過食になる前 かしょこの体型

私は現在身長150センチ、体重42キロの普通体型です。太っているわけでもないし、特別細い!というほどでもないくらいです。今はこの体型に不満を持ってはいません。ちょうどいいかなぁというくらいです。昔の私なら「もっと細く!!」と食事制限をすると思いますが(笑)現在の食事量はいたって普通です。朝は卵焼きにご飯一杯、味噌汁、お昼はうどんなど、軽食、晩ご飯もハンバーグやカレーなど普通にダイエットをしていない成人女性の食事内容だと思います。普通に間食もします。アイスも食べますしお菓子も食べます。アイスはあずきバーが好きです(笑)外食もしますし、セットメニューも頼みますし、食事に関しては我慢することなく普通のごく一般的な量を食べれています。この食事量に落ち着くまでにたくさんの試練、困難がありましたが、、、

 

まず私が過食とは無縁の生活を送っていた学生時代は、自分の体型に非常にコンプレックスを持っていました。身長150センチで体重は56キロあった時もありました。いろんなダイエットをしていましたが、3,4キロ痩せリバウンドを繰り返す悪循環に陥っていました。でもその時はまだ異常さはありませんでした。普通に食欲はあるし、我慢しようと思ったらできる。でもついつい食べ過ぎちゃう時もある。食べ過ぎても「食べ過ぎちゃったぁ」で収められることができる。甘いものが大好きでポッチャリ体型の女です。普通の。自分の体型にコンプレックスを持っていたといっても、どんな女性でも(ポッチャリではなく普通の体型の人でも)何かしらコンプレックスはあると思うので私が特別ということではないと思います。自分ではその当時の私の体型はブ〇ゾンちえみくらいかなと思っています。痩せたい痩せたいとは願っていても、なかなかダイエットが続かない子でした。

かしょこの過食 命の誕生

帝王切開で娘を出産。かわいいかわいいわが子が生まれました。今まで感じたことのない喜びを感じました。すごくすごく嬉しかった。この子を一生守ると心に決めました。産んでから私は変わりました。1日中子供にはりついて育児に専念し、自分のことは後回し過食のことも考えなくなりました。ほんとに人が変わったようです。今までは少し食べ過ぎたかなと思ったら急いで吐くという感じでしたが、食べ過ぎちゃったで収められます。育児で吐いてる暇もないですしね。今までは仕事で忙しくても一人の自由の時間は少しでもありましたから。でも、育児は24時間です。子供を一人にできませんから。母親になって守るべき存在ができて、自分のことをいい意味で後回しできたこと。自分の過食に注目することがなくなったことが寛解の要因だったかなと思います。常に過食を治すためには~って考えてましたし。他に夢中になれることが重要なのかなと。私は以前過食症の治療過程を富士山頂上にあるドアを開けろと指令を出され、そのドアの鍵を100種類の鍵から一つだけ選び、その鍵を持って地上から富士山を登頂するようなものだと例えました。過食を治すには幾通りの方法からその人にあった治療方法が必要で、その適した治療方法を見つけ出しても、その治療方法に沿って治療過程を遂げることはとても過酷なことなんです。その過程は富士山登山と似た感覚です。しかも、100個の中から1つの鍵を選び出しても、その鍵が正解かは分からない。絶対にハマると分かっているなら頑張れるかも知れないですけど、ハマるかどうか分からないんです。私の場合は、治すためにあらゆる試みをしました。ですが、どれもはまらなかった。鍵を持って何度も登山を試みますが、何合目かでいつもこの鍵はやっぱり違うと引き返して、また新しいかぎを持ってまた山に登る、また諦めて引き返し、、、を繰り返して結局頂上のドアを見ないまま長い期間くすぶっていたような感覚でした。もう一生この試練をクリアできないと落胆しているとき、天使が現れ「この鍵があのドアの鍵だよ」と正解の鍵を教えてくれ、天使が私の肩を持ち、宙を浮いて頂上まで飛んで行ったような感覚です。そして鍵をドアの錠に差込み、右に回しカチと音がして、やっとドアを開けれた、、。なので、自分の力で鍵を見つけ、自分の力で登頂したわけではありません。

私は過食症が完治したと思ってません。子育てが落ち着いた頃にまたなる可能性もあります。あくまで寛解です。精神疾患は完治はないと言われています。このブログを書いたことがきっかけで過食を思い出し再発の引きガネになることも考えられます。なぜ書くのか、自分はもう大丈夫確認したいからです。もう整理できている、過食になったことも苦しんだ過去も自分の経験として受け入れられています。恥ずかしいこともないです。そして、今過食に苦しんでいる方たちにどうやって私がこのような難しい問題を整理することができたか知らせたい。そして自分の問題解決に少しでも役立てて欲しいと思っています。赤裸々に当時のこと記述していこうと思います。

 

かしょこの過食 新しい生命のため

つわりがおさまりやがて食欲も出てきます。その頃の私は栄養をとってお腹の赤ちゃんを育てようと食生活を見直すようになりました。私は実家に帰り、家族とともに生活をしました。母に栄養バランスの良い食事を作ってもらいました。実家に戻らないとこのようなサポートは受けられなかったと思います。いい選択でした。お腹の赤ちゃんを第一に考え過食嘔吐しないように心がけていましたが、、、。してはダメしてはダメと思えば思うほど我慢できなくなるのが過食です。たまに我慢できなくなって過食してしまっていました。嘔吐もしました。さすがに下剤は使用しませんでしたが。嘔吐すると子宮がキューっと締め付けられ痛くなりました。その度「赤ちゃん苦しいね。ごめんねこんなお母さんで・・・」と自己嫌悪を感じていました。赤ちゃんが生まれてきちんと育てられるのか、過食症のお母さんなんて、、と先のことに不安を感じ、その不安感から過食を引き起こしてしまったのです。

妊婦生活もあっという間に終盤に、私は切迫早産ぎみで外出禁止、家事もしてはいけないと医師に言われずっとベットの上で横になっておりました。出産1ヶ月半くらい寝たきりの生活でした。さすがにその間嘔吐する気にはなれず食べ過ぎたかなと思っても過食まではいかないくらいでおさまっていました。

かしょこの過食 大きなきっかけ

私は過食症であることを今までひた隠しにしておりましたが、周りに打ち明けました。当時付き合っていた彼氏にも打ち明けます。彼はもともとポッチャリ体型が好きな方で私の体型に文句を言うことはありませんでしたし、少しずつ落ち着くといいねと彼も私を軽蔑することはありませんでした。

そして私の体に大きな変化があります。お腹に赤ちゃんを授かりました。今愛する我が子です。私はとても嬉しかった。と同時に不安もありました。過食症を抱えながら妊婦生活を送れるのか、、、。彼は私の過食症を治すのが先。その状態で妊娠、出産、子育てなんてできるのは難しい。赤ちゃんにはかわいそうだが中絶したほうがいいと言ってきました。私はどうしても産みたい、私のところに来てくれたから、、と意見は対立します。やはり男と女考え方は違うのだなと・・。不安は多くありましたが、赤ちゃんを生む!と私は母親になる覚悟をきめました。つわりがはじまり、食欲がなくなり少し食べただけで吐くようになりました。(自己誘発ではありません)急激に太った体重は落ちていき、元に戻ったわけではないですが、少し体型もすっきりしました。妊娠=太るというイメージだったのでまさかの体重減少に驚きました。吐くこともしばしばあり、今まで指を突っ込んで無理やり吐くのではなく自然に出て行く感覚になりました。吐くことに対して嫌悪感を自分に抱いていたのが、つわりで自然な現象として吐けているということで私は落ち着きを取り戻していきました。つわりは私の過食症の症状を上回っていました。過食症を忘れる位の辛さでした。お腹で赤ちゃんを育てることはどれだけ大変なことか思い知りましたし、つわりがあったことで「私も普通の身体なんだ」と認識できました。

かしょこの過食 告白

当時の職場は人間関係が良く、先輩、上司とプライベートでも仲良くしたり、なんでも話せる関係でした。でもやはり過食のことは言えず、、。急激に太りそのことをつっこまれておりましたので、「実は、、、」と先輩と上司2人に過食症であることを伝えました。2人は真剣に聞いてくれ、過食症である私を受け入れてくれました。人に伝えられたことに私は気持ちが軽くなり、軽蔑することなく聞いてくれホッとしました。理解してくれる人がいる安心感がありました。先輩は私の通院しているクリニックについて来てくれたり、上司も体調を気にかけてくれるようになり、理解者がいることで少し落ち着きました。急激に体重も増え周りも異様に思っていましたし、隠しておくことが難しくなっていました。私は太ることに対してものすごく恐怖を感じる人です。「太りましたね」と周りに指摘されそれが苦痛でした。死にたくもなりました。でも、なぜ太ったか知ってくれてるひとがいる。理解してくれる人がいる。それが私にとっていい変化だったと思います。

かしょこの過食 一人暮らし

私は母の監視から逃れるため一人暮らしを始めます。日々の忙しい仕事にプラス家事も加わり忙しさが増しました。家も散らかり掃除もろくにできず、まさに汚部屋です。一人暮らしを始めてしばらくは過食がなく忙しい毎日ですが精神的には楽でした。母からの監視もなくストレスが軽減された気がしました。それに新しい部屋で過食嘔吐をして汚したくなかった。(掃除もろくにしないので汚かったですが、過食嘔吐のせいで汚れるのは嫌でした)休みの日は汚くなった部屋を掃除して片付けるがすごく気持ちよかったんです。清々しい思いになりました。ですが、、、そのような状態は長く続かずどうしても過食したい気分になって過食そして嘔吐してしまいました。あぁ。やっちゃった。1回すると今まで守ってきたものがどうでもよくなって、それから過食がひどくなっていきました。どうしてもイライラ、ストレスがかかると「食べたい、、」という気持ちが出てきてしまって、、。「ストレスが溜まったら食べる」が私の中で定着していたのです。一人暮らしをはじめて少しして私は昼の仕事が忙しくなったので夜の仕事をやめました。夜の仕事を辞めたから時間に余裕が出来たかというと、、そうじゃなかった。さらに忙しくなりました。朝から深夜まで働き続けました。過食はお金が掛かるもので過食費で金欠状態だったので、お金を稼ぐためとがむしゃらに働きました。その頃の私は精神的にも身体的にもキツくストレスは大変なもので過食はさらにヒートアップ。車の移動中や空き時間ができると過食をしまくって、吐く暇がなく嘔吐なし過食を続けました。体重はどんどん急激に増え15キロは増えたと思います。周りも急な体型の変化に驚いておりました。私も自己嫌悪で外に出るのも嫌、、。私を見ないでと醜くなった自分に絶望していました。

かしょこの過食 ~環境をかえた~

私は自分が時間が空いた時に過食のスイッチが入ることが分かっていたので、時間が空くことないくらい働けばいいのだと思い、夜もバイトをいれ、昼仕事をし、それから22時ごろまでバイトをしました。深夜まですることもあり、家から少し遠い勤務地だったため帰宅まで1時間、それからお風呂に入りいろいろして就寝は夜中、寝る暇もなく働いていました。その環境になってから少しの間忙しすぎて過食はありませんでした。治ったかな?なんて思っていましたが、その考えは甘かったです。貴重な休み、夜のバイトが早く終わったときなど、時間ができた時にはチャンス!!という感じで食べまくっていました。この頃から下剤は勤務中にトイレに駆け込まないといけなくなる可能性があるので、過食直後に吐くという方法が主流になっていきました。

私はずっと実家暮らしでした。家族も私が過食することは知っており、私の母は冷蔵庫に食料を溜めないようにしていました。甘い食べ物は戸棚の奥の方に隠したり、大きな冷蔵庫がもったいない程異様なくらい何もなかったです。私の過食した日はスケジュール帳にバツ印をつけたり、、。母も自分の娘が過食になったら心配ですよねそりゃ。でもこの頃の私は監視されてる、私に嫌がらせをしていると感じていました。昔から母との関係は良くなかったですから、私が過食をしていることを馬鹿にしているのか、、と。今では心配しての行為だったのだと思うことができるのですが、当時はそう思える余裕がありませんでした。私は過食を自分自身の問題だから自分自身だけでなんとかしたい。私の過食の問題に他の人が入って来て欲しくない(主治医やカウンセラーは別ですが)と思っていました。なので母の行為はとても私にとって不快感でした。私は実家から出ないといけないと思って一人暮らしを始めます。