過食症を克服した一児の母の体験記

摂食障害(過食症)になり、悩み苦しみもがいた体験を綴っていきます。

抜け出せない

下剤での排出が終わり、体重を計ると元の体重よりも増えていました。体重計の上で泣き崩れたのを覚えています。「あれだけの嘔吐の量じゃダメなんだ・・・もっと上手く吐かないと」少し歪んだ考え方をするようになっていました。普通なら嘔吐なんてしてはダメ、嘔吐をすることやめなくてはと考えるところですが、、。

程なくしてまた過食モードが発動します。今度は前回よりも増して高カロリーで甘いものを求めるようになりました。白ご飯にマヨネーズをかけたり、パンに大量のマーガリンを塗り砂糖をまぶして食べたり、いわゆるデブ食です。自分が止められなくなるんです。母が買ってくる健康菓子(カロリーメ〇トなど)の甘さでは足りず大量の砂糖をつけて食べました。「私どうなっちゃうの??」と止められない自分に泣きながら口に詰め込んでいました。その後また嘔吐、下剤の排出行動をとります。もっと上手く吐けるように意識して、、。

嘔吐をした後は脱水状態になり、頭がボーッとし、身体がフラフラします。低血糖状態になるので、脳が糖分を欲しがります。そして過食、また排出行動と負のスパイラルに陥り抜け出せなくなるのです。私もこの時この負のスパイラルに入りそうになっていました。過食をしていない時は冷静になれる時もありました。今の状況、このままではいよいよ本格的に過食症になってしまう。それはとても大変なこと、1度なってしまうと抜け出せなくなること、分かっていました。なので私は過食時以外は絶食となっていたのですが、絶食をやめ、適度の量は食事をすることにしました。そうすれば、身体が飢餓状態にならないから、過食は起きないと思っていました。

嘔吐を試みるも、、

無我夢中で食べた後、下剤を大量に飲んで排出しても体重が増えていたことから私は嘔吐を試みます。私は摂食障害について少し知識があったので、(大学の授業で習いました)摂食障害の人たちがどのようにして大量に食べたものを処理しているのか知っていました。嘔吐、下剤、絶食、過度な運動、このような排出行動によって過食をしても、標準体型を維持しているのです。知識がなんとなくあったことで、どのようにすれば食べたものをなかったことにできるかが分かってしまいました。私はその人たちの真似をしてしまいます。排出行動をとると、飢餓状態になり、糖分を取ろうと脳が食を過剰に求めるようになり、また過食を繰り返すようになる。そのこともよく理解していましたが、その時の私はとにかく今このお腹に詰まった食べ物を出さないといけないということに頭がいっぱいいっぱいでこの先のことを考える余裕はありませんでした。早く早く出さないと、、とトイレに駆け込み、喉に指を突っ込み嘔吐を誘発させます。しかし、何度も「オエッ」となるものの、肝心な食べたものは出てきませんでした。なかなか出てこず、夢中になって指を突っ込み、これでもか!というほど奥に突っ込み続け、やっと少しだけ吐けました。その瞬間はとっても快感で少しだけホッとしました。その後も何度か吐けることができ、食べたものの10分の一くらいは出せたと思います。念のため下剤も規定量の5倍くらい飲み、体重を増えないでくれと願うのみでした。

そして初めての嘔吐を終え、「ついにやってしまった・・・」というようななんとも言えない罪悪感を覚えました。その時は頭が冷静ではなく、血が上った状態でした。自分が自分でないような、何かに取りつかれたような感覚です。嘔吐をした後は私も過食症になるかも知れないと思いました。この状況をまた繰り返してしまうんじゃないか、怖くて怖くてたまりませんでした。

私の予想通りまた嵐のような食欲が襲いかかってきます。

とうとう狂った

下剤を飲み、やがてまた苦しい腹痛が始まります。痛くて痛くてたまらなかったけど、食べた豆をなかったことにするため耐えました。何度もトイレに行きやっと落ち着いて、体重計に乗ると元の体重よりも増えていたんです。下剤を使って出しても、結局食べたものはなかったことにはできませんでした。ショックで泣いて、体重が増えたことに恐怖を覚えました。食べたら増えるんだ、、私は次の日から絶食をします。絶食で仕事をし、二日くらい何も食べなかったと思います。フラフラの状態でした。思考回路もまともではなくなって、二日くらいしてから、「また豆食べたい、、」「甘いの欲しい、、何か食べるもの、」と獣になったように台所をあさり狂ったように食べました。その時食べたものは台所にあった健康菓子です。(カロリーメ〇トやソ〇ジョイ)よく食欲のない私に手軽に栄養をとれるようにと母が買ってくれていました。いつもはカロリー〇イト一本を朝半分、昼半分しか食べません。それを一気にふた箱、ソ〇ジョイも5本くらい我を忘れて食べ、まだ足りないと冷蔵庫をあさり晩ご飯の残りをすべて食べました。お腹ははち切れそうになり、動くのもしんどいほど。もう食べきれないというところになって我にかえり、「あぁ、とうとう狂った」絶望しました。体重計に乗ってさらに絶望。あんなに苦労して減らしてきた体重がすぐに増える、、怖くて仕方ありませんでした。こんなにも狂ってしまう自分に、、。私の中に別の生き物がいて、私を暴れさせているようでした。頭に血が上り、一心不乱に思考回路は全く機能しておりません。本当に獣そのものでした。まさにこれが過食でした。

はじまり

豆をすべて食べ尽くしてしまったことが信じられなくて呆然としていました。残るのはお腹が膨れた感覚です。胃の中に食べ物がたくさん詰まった感覚で、それは私にとって相当久々なものでした。食べているときはただただ夢中で、口の中に広がる甘味に没頭していました。一気に地獄に突き落とされるよう気分になり、「なんで食べてしまったの??」「こんな甘いもの食べたら体重すっごく増えちゃうよ」「私はアホ、、」食べてしまった自分を責めました。実際はスイーツより甘さ控えめのただの豆なのですが、その時はこの豆がとんでもなくカロリーの高い砂糖の塊のように思えたのです。今大量に食べてしまったものをなかったことにしたい、いや、しないといけないと私は焦っていました。早く出さないと体がカロリーを吸収してしまう。どうしようと考えついた先は下剤でした。

私は引きこもりをしている間、便秘がひどくたまに下剤を使っていました。とても頑固な便秘で規定量では効果がないことがあり、1度規定量より1粒だけ多く下剤を飲んだことがあります。その時はあまりの腹痛に悶え、冷や汗をかき、もう少しで意識が遠のくのではないかという程でした。何度もトイレに行き、腹痛がようやく収まった頃は脱水状態だったと思います。お腹の便がすべて排出されたんだと思います。その後、体重を計ると見事に減っていました。下剤を飲む前から2キロくらいは落ちたと思います。一気に痩せたことにすごく感動して、異常ですが、苦しんだかいがあったと、、馬鹿なことを思っていました。ただ便が排出されただけで身体は細くなったわけではないのですが、当時は体重計の数字が全てでしたから、減った数字に満足していました。

この経験を思い出し、下剤を使用したら食べたものがすべて出てくれるんじゃないかと思い下剤を多めに飲みました。「これでチャラだ」と安心していました。実際は下剤で出したとしてもカロリーはほとんど吸収されるのに変わりないのですが。

過食になるまえ ただの豆

精神的にも一時期よりはだいぶ楽になっていきました。体重が減少していくことに快楽を感じていたので、痩せる=エネルギーになり、気分的にも晴れていきました。しかし、無理な食事制限をして身体の調子は悪かったはずです。でもなぜか平気だったんです。今ではこの状態を躁状態だったのではないかと思います。(躁とは鬱とは逆に気分が高揚しすぎること)この時腹筋100回背筋100回、筋トレも時間があればしていました。半身浴も夜中に3時間くらい平気でしていました。体重はみるみる減り36キロになりました。どんどん細くなる身体をずーっと眺めて、満足していましたね。親も急激に痩せていく私に心配はしていました。

そして、私は仕事を始めました。職種は言えませんが肉体労働です。この仕事を始めてから異変が起こります。肉体労働ですので、もちろんお腹が減ります。それでも私は食事制限を続けました。もっと痩せないと、と思い、人の何倍も多く動き汗を流しました。この状態を続けていき、程なくして私の体は爆発してしまいます。仕事から帰って、私の祖母が豆の甘煮を作っていました。いつもは砂糖を多く使ったものは食べないのですが、少し食べてみました。すると、その甘さに感動して恍惚した感情が芽生えました。「なんて甘くて美味しいの、、」と。豆の甘煮なんてチョコレートや生クリームよりは甘くはないです。しかし、当分甘いものを口にしていなかったので、舌が研ぎ澄まされていたのだと思います。すっごく甘くて美味しいスイーツにただの豆ですが、思えたのです。(なんていう豆かは分かりません(・・;))その豆を食べ、もう1個食べたい、もう一個、あと一つ、一つだけ、、と食べ進み、夢中になってタッパに詰められた豆をすべて食べきってしまいました。なくなってしまった豆に呆然。後は食べてしまったことへの後悔が波のように押し寄せてきます。

過食になる前 体重減少に歓喜

今までどんなにダイエットをしても2,3キロしか減らなかったのが、一気に減ってとても嬉しかったのを覚えています。このまま行けば普通体型になれる。このポッチャリした憎き体とおさらばできる。と期待しました。今までは本当に食欲がなく食事量が減っておりましたが、この日を境に意識的に食べることを制限するようになりました。家族は食べない私を心配して、少しでも食べるように促しますが、私はそれをうざったく思っていました。家族も精神的なもので食欲が出ないのだと理解しようとしていましたが、まさか食べないように我慢していたとは思っていなかったと思います。「食欲がない」と家族には言い続けていました。

この頃の食べる量はほんとにごく少量です。ご飯は1日で茶碗半分程度。脂っこいもの、肉、お菓子、甘いものは口にしませんでした。野菜やこんにゃくなどカロリーの低いものは食べていました。家族の作った料理も例えば肉じゃがであれば、人参、玉ねぎ、インゲン豆、糸こんにゃくなどは食べて、後の肉とじゃがいもは残すといったような。(もはや肉じゃがではない。。)お味噌汁は食べていましたが、油揚げが入っているものは口にしませんでした。天ぷらは衣をはがして一度水洗いをして油を落として食べていました。(水洗いをすれば油が少し落ちるという気になっていた(・・;))

食事制限はますます加速し、当時心療内科に通院していて、抗うつ剤を服薬していたのですが、その錠剤にもカロリーがあると思い、抗うつ剤を飲むのを辞めました。ペットボトルの水を飲みたくても、「このペットボトル母が口をつけてさっき飲んでいた、、さっき母は揚げ物食べていた。その揚げ物の油がついた唇で飲んだから、この飲み口にも油が付いてる・・・」と思って飲めなかったり、、。今考えるとそこまで思うのは異常だと感じるのですが、その時は真剣にこういったことを考えていました。

過食になる前 精神的に病む

私はいわゆるイケメン好きだったと思います。彼氏ができてデートしたり、そういった憧れはありましたが、私には無理だろうと諦めていました。こんな体型じゃ私を女として見てくれる人はいないだろうなと、妄想の中で留めていました。なので、実際に男の子と接するとすごくあがってしまってどう接していいのかパニックになったり、私のこと気持ち悪いって思ってるかなとかそういったことを気にしてしまって、男性と実際に接することが苦手でした。いつしか男性が怖くなってしまいます。しかしいつか痩せて彼氏を作りたいと夢見ていました。高校卒業して私は女子大に進学します。男性が苦手でしたので、男性と関わらない女子大ということで安心していましたが、学生生活に馴染めず、大学に行かなくなってしましました。(理由はここでは載せませんが)精神的に病んでしまい、引きこもりになりました。外にも一歩も出ずずーっとベッドの上で横になっていました。何もやる気が起きず、「死にたい」とさえ思うようになりました。

私はとても周りの目を気にしてしまう人間です。今の私の表情相手に嫌な思いを与えてしまったかな?今の言葉おかしくなかったかな?私のこと気持ち悪いって思ったかな?人と接する時そういった念が渦巻いて上手く喋れなかったり、表情も固くなりぎこちなくなってしまいます。みんなは自然に喋れるのに、、人間関係に疲弊してしまっていました。食欲もなく1日何も食べないということもありましたし、お風呂にも入らない、疲れることは何もしていないのに、体がずっしり重く立ち上がっただけでクラクラしまともに歩けないという状態でした。心療内科にいき鬱と診断されました。

そんな日々の中、ある日体重を計ってみたら一気に体重が落ちていました。詳しい数字は覚えていませんが、56キロから50キロくらいに落ちていたと思います。その時、恍惚するようなとても嬉しい感情が湧きました。病んでるさなか一筋の光が見えた気がしました。その光はとても恐ろしい入口となってしまうのですが、、